バックパックは大学の時に買ったのをしばらく使っています。
MilletのSaas Fee Evoというシリーズの40L(もうネットではオークションなどでしか出てこないようです?)。当時は、あまりゆっくりお店に見に行く時間がなく、(確か旅の1週間くらい前に急いで購入、しかもネットで)慌てて買ってしまいました。ただ、一応ネットで情報収集はしていて、かつ、ネットで買いましたが特に困らず自分なりに工夫していままで使えてきているので、基本的なバックパックの選び方で注意したいことだけ書いておこうと思います。


私の相棒〜



◎サイズは大きすぎない40〜50Lくらいが妥当?
私は、40Lのバックパックを選びました。(ちなみに私の身長は160cm、標準的な体重だと思います。)
バックパッカー気取りで旅を始めようとしていたころは、ついつい荷物が多くなりがち。私はなかなか荷物を厳選することができず、結局出発時点で40Lパンパンのバックパックを背負うことになりました。これじゃお土産いれるスペースもないなと最初は不安に思っていたのですが、、やはり女子には40Lくらいまでが妥当だとのちにわかります。


荷物いっぱいもっていけても、重さに堪えられない、、
バックパックは大きければいいというものではありません。何よりスペースがあっていっぱい詰めれても、おそらく荷物の重さに耐えられません!特に東南アジアなど比較的暑い地域に行く場合(まあ寒い地域も同様ですが、、)、10Kg以上のバックパックを背負っての宿探しや、電車やバスに駆け込む必要のある場合、それを背負ったままというのは想像以上にきついです。いろいろ持っていけるから60Lなど大きい方がいい〜とだけ考えていると、現地で割と辛い思いをすると思います。欧米人のバックパッカーはやたらでかい60Lくらいのバックパックをカップルでお揃いで背負ってたりしますが、やはり自分の体格にあったものを選ぶべきですね。

ちなみに私は半年近くバックパックで東南アジア、インドを回っていたとき、マックスの重さは15Kgくらいでした(普段は10〜12Kgをキープ)。結構この重さになったときはきつくて、そのせいで宿選びも妥協したり。笑 重たくて、暑くて、体力消耗するのではよ休みたいと思ってきてしまいます笑
ぜひ、大きさを選ぶ際、荷物がどのくらいの重さになるかも合わせて感がてみることをお勧めします。

そして、もう一つの理由として、大きなスペースがあって常に余裕をもたせていても、飛行機やバス、電車移動でバックパックを預ける場合はスペースがありすぎると荷物がごちゃついたり、潰れてしまったりもするので、適度に荷物の位置が固定できるくらいに調整できるとベストだと思います。



◎色はできればユニークなものを
好みもありますが、、できればユニークな色が良いのではと思います。私はイエローグリーンを選びました。いくつか理由があって、一つは空港で自分の荷物を簡単に見つけられること。案外、赤系や黒系、グレー系などのバックパックが多く、これらの色を選んだひとは自分のバックパックを判別するのが少し面倒そうだなあと思ったりします。。カバーの色を変えていたり、タグなどつけるのもいいと思います。
もう一つは、盗難対策。これも気持ちばかりの対策かもしれませんが、やはりありふれた色より、すぐに自分のものと識別できるものの方が、例えば誰かがバックパックごと持って行ってしまおうとした時や、周りにいる人が自分のことを認識してもらいやすくなるはずなので、印象に残る色を選ぶことは、そういった防衛にもなると思います。



◎メインのスペースに仕切りがあること
これは事前に調べていて、実際に使ってみてよかったなあと実感している点なのですが、メインの収納スペースがファスナー等で上下に分けられていると結構使い勝手がいいです(ファスナーを開けて一つのスペースにもできる)一つのスペースしかないと、やはり荷物の重さのバランスや、位置のバランスを整えるのが少し難しいかと思います
私は、ほぼいつも下の段には、洋服や下着といったある程度の重さがあるものをまとめて入れてしまい(布って案外重いです)、バックの底のクッション代わりにしていました。上段には、化粧水やらPCやカメラの充電器やら形がごつごつしたものなどを。洋服類は量とスペースのバランスで収まりがちょうど良かったので、重心が取れやすかったです。そして、少しの移動の時は、手持ちでなくバックパックにPCやカメラをいれることもあったので、地面にバックを降ろす際などなるべく衝撃を与えないようにもできていたと思います。

これがもし、何も仕切りがないとなると、荷造りに苦労すると思います。結構荷物の詰め方は大事で、それで体の負担のかかり方も変わります。旅を続けるうちにパッキングに慣れて荷造りが上手くなっていくのもありますが、事前にある程度どこに何を入れようかとイメージできているとより良いと思います!



◎口が絞りタイプの場合はチェーンを通すべし
私が選んだバックパックは、どちらかというと登山向けのものだったようなのですが、メインスペースの入り口が絞りタイプです。後から調べたところ、このタイプは南京錠をかけることが難しいので注意すべし!みたいな記事をみつけ、どうしようか対策を考えていました。
それでまたネットで記事を見つけて対策したのが、チェーンを通して、南京錠をかけれるようにすること!

ちょっと野蛮なやり方ですが笑、かつまあナイフとかで布を割かれたらどっちにしろ盗難など防ぎようがないので一つの対策でしかないですが、金属のチェーンを買ってきて、絞り口のところを一周通します。そして、特に飛行機でバックパックを預ける場合やドミに荷物を置いていくときなどに、南京錠までかけるようにしていました。

あまりここまでやっているひとは見た事ないのですが、インドなど旅していて電車のスリーパーなど使うならこのくらいしておきたいものです。バックを抱えて寝ていたはずなのに中のカメラがなくなったとか、不思議なイリュージョン?が起きるインドの電車笑、できることはやっておきたいです。



このほかにも、いろいろバックパック選びのコツはあると思いますが、私が実感しているのは上記のような内容です。
バックパック選びに迷っている方の一つの参考になりましたら嬉しいです〜





スリランカ行ってアーユルベーダを受けた時に、まず「瞑想はあなたに合っていると思いますよ〜(思考的に)」と言っていただいたのでお勉強したいなと思いつつ、「瞑想してると自然と身体動かしたくなるので、ヨガもやってみてもいいかも知れないですね」とも助言いただいていました。


瞑想はこんな本を薦めてもらい読んで何度か実践してみているのですが、まだまだコツがつかめず、考え事始めてしまうのでもっと練習?というか続けてみようと思っています。

この本はあまり思想的な話は書いていないですが、科学的に瞑想が脳にもたらす効果を簡単な言葉で書いてくれていてわかりやすかったです。最初にそういった瞑想の効果と、後半に実際にどうやって瞑想したらいいか具体的な方法がステップステップで書いてあります。




と同時に、やはりヨガも気になっていて、せっかくタイにいたら日本にいるときより安く、気軽に始められるかなあと思っていました。春からしばらくずっと思っていました。ただただ思っていてなかなかいけていませんでした。笑
でもスリランカから帰ってすぐにスクールはとりあえず探していたんですよ!


私のヨガスクールの条件はこちら
・日本人だけでなくインターナショナルな人と知り合えること
・瞑想とかヨガの思考の部分を伝えることも大事にしている
・それらの思考を学べる機会がある
・オフィスから近い(平日の夜遅めの時間でもいける)

私はインドで体験レッスンしたのくらいしか経験がなくど素人なので、最初は日本人に会わずにひっそり練習したいなあなんても思っていたので、上記のような条件になりました。そしてたしか、毎年出ているWise Familyというタイのタウンページのような特別版情報誌を見ていた時に、「インドで学んだ瞑想の思考法など、、」みたいな記述が唯一あった【Yoga Elements】というヨガスクールを発見しました〜



知り合いの強制コミットにより笑、やっと重たい腰をあげて体験レッスンへ、、
何でも新しいこと始めるときはわくわくしつつも、重い腰が上がらず、億劫だったりします、、
好みそうなヨガスクールの存在を認識して数ヶ月、、もう12月に入ってしまっていたある日、知り合いに「ここ数ヶ月身体が何となくだるい、ヨガとか運動しなきゃとは思っているのだけど」という話をしていたら「今日ヨガ行きなよ笑」と背中押され、もうこれを逃したらいかないなと思い、そのまま体験レッスンに行くことにしました。



スクールに行くも、緊張してそわそわ!さっそくレッスンスタート
さっそくBTSチットロムから徒歩5分くらいのスクールへ〜
はじめてだし緊張していて、受付で恐る恐る体験レッスン受けたいと伝え、英語でほいほい案内される。体験レッスンはヨガマット貸してくれて、更衣室でウェアに着替えてロビーで待つ。何だかタイの人たちは格好から入るひとも多いので笑、みんな一丁前のウェアでベテランに見える、、余計緊張(実は全然初心者だったりする)。私は鈍臭い醜態を晒すことになるけど、身体リフレッシュできるなら、、、とかうだうだ考えているとレッスン時間になりました。

おのおの好きな場所にヨガマットを敷いてレッスン開始。朝のレッスンとかは変則らしいのですが、原則一回90分。結構がっつりやってくれます。このスクールは、英語とタイ語のレッスンがあって、私は英語のやつへ。半分がタイ人、半分は欧米人など。


あっという間の90分!終わった後は頭もすっきり〜
最初はついていくのに一生懸命&正しくやらなきゃと少し羞恥心もあったのですが、、
だんだんとやったことのない動きに苦労し、ついていくのに必死に笑 それがむしろよくて、途中か何とか動きを覚えようと先生の動きや周りのひとの動きを観察しながら集中して無心になっていきました、、そして最後にマントラを唱えてあっという間に90分が終了。


まだまだヨガの思想を勉強したいし、しなきゃなと思うものの、
習い始めはこれでいいんだな〜と妙に納得しました。とにかく必死になるので、割と容易に心が瞑想中に近い状態に持っていける気がします。慣れてきたらまた変化してくるかと思いますが、いまの段階ではとりあえずこれでよくて、自分の頭のリフレッシュになるし、すごく満足感もあります。ただし体が硬いので、次の日にがちがちになりましたが。笑 ゆっくりゆっくり負荷をかける動きがあるのでその時は大丈夫でもやっぱり筋肉痛になりますね笑 悔しいので、柔軟はお家でちゃんとやろうと思います。

その後、何回かレッスンに行っていまして、基本的な動きが少し分かってきました。このままもう数ヶ月通ったら、あとは自分で家でできるようにしたいなあと思っています。重たい腰を上げれずにいた数ヶ月がもったいなかった!しばらくは頑張って練習して、思想もお勉強しようと思います。


背中押していただいた知り合いに感謝です〜


バンダーラウェアでホームステイさせてもらったファミリーと別れて、ゴールまで移動。家を出るのが遅くなってしまってすでにお昼近く。。


バンダーラウェアからエッラを経由してウェラワヤまでバスで移動

エッラというこれもまた紅茶で有名な町も越えて(ちっちゃくてかわいらしい町でした、次は行きたい!)、絶景の道をくねくねとバスで1時間くらい、中長距離バスが多く出ているウェラワヤという町のバスターミナルまで。



ウェラワヤのバスターミナルで、バス探しに苦戦、、

ここですこし客引きがうるさくて大変でした、、。ただでさえ出るのが遅れてしまっててもう14時くらいだったので、日に2本くらいしかゴールへのバスがでていないのをすでに逃してしまっていました。乗り継ぎでなんとかいけるだろうと思うものの、何人もに「今日は祭りで道が混んでるから、ゴールへはたどり着けない」と言われどうしようか迷ってしまいました、、。地図とにらめっこして、いや、やっぱり今日のうちに移動したほうがいいなと判断して、ゴールから1時間くらい手前のマータラ行きのバスを待つことに。
なのになのに、、、!おそらくターミナル周辺のゲストハウスの人間の客引きが本当にうるさく、「今日はマータラ行きのバスはない」とか、私がこのバスでしょと聞いたらバスの運転手に「違うって言え!」(ってたぶん現地語で)言ってたり、、うそだあと思ってそいつがどっかに行った隙に運転手に「マータラ行きますか?」って聞いたら「乗れ」と。行くじゃないかー。「マータラマータラ」叫んでたものね。笑
というわけで、おそらく中継地なのでゲストハウス側からしたらお客さん捕まえるのに大変なのだと思いますが、ようやくマータラ行きのバスをゲット。



今度はマータラ行きのバスの中でまた変な人?に絡まれる、、

無事にバスに乗って、席にも座れて一安心していた頃、、なんだか前の席の人が話しかけてくる。私は英語だか現地語だかよく分からなくて愛想笑いしてたからよかったのだけど、何かちょっとおかしい人だったのか、周りのひとたちは「おい、やめろ」的なことをその男性に言い出してちょっと嫌な雰囲気に、、と思ったらなんと運転手まで出てきて、「お前こいつに何かされたか」的なことを聞かれ、私が「え、」ってなってる間にあっという間に「さっさと降りろ!」って乱暴に連れて行かれ、その男はバスを下されたのでした、、、。なんだったのでしょう。
でも周りの人の反応的に、何か変な人だったようです。知らぬが仏ですが、ちょっと疲れ過ぎていて何だなんだかわからないのでした。気をつけなあきませんね、、。助けていただいたらしい居合わせたみなさんに感謝しつつ。。そのあとは疲れてほぼ黙ってゴールまで、、。

ところどころ仏教のお祭りで、お寺からはみ出した人が道路まであふれて、それを全力でさけながらバスはすすむのでくねくね、ブレーキも踏むし、クラクション鳴らすし、想像しい移動でした。



やっと夜9時近くにマータラ到着、でもゴール行きのバス停が分からない、、

5、6時間バスに乗りやっとやっとマータラに到着し、バックパック背負ってゴール行きのバス停を探すもよく分からなくてじんわり汗が。いろいろ人に聞いてみるとようやくターミナルの外側で待っていればいいらしいということがわかりました。行ってみると、さっきのバスで一緒だったおじさんが。「おお、お前もゴール行くんだよな。任せとけ」的な仕草。なかなかゴール行きが来なくて夜が遅くなっていくのでやきもきしつつ、一緒に待っていると、「これだ、乗ろう!」とバスを教えてくれました。さすが祭り終わりなこともあって、すごく混雑しており、、座れるわけもなく、そこから約1.5時間ほど揺られることになりました。おそらく昼間であれば海沿いできれい〜なルートだと思います。



ゴール到着、最後の試練「宿探し」

つきましたー!歩き方によれば、バスターミナルから宿までは歩いて10分から15分くらい。黙々とあるいているとまた新たな刺客が、、宿引きの男性。ついてくるついてくる。でたらめの英語でずーーーーーっとついてくる。本当にうるさくて、もう12時近いしさっさと宿に行きたいのに、邪魔してくる邪魔してくる。。私が目当ての宿についても「ここはフルだ」、宿の店主にも「フルって言え」的なことを現地語で言ってくる。。
もう耐えかねて私切れてしまいました、、日本と英語で「ついてくるなぼけー!」ってどなりちらしたものの懲りずについてくる。。すがる思いで3つめくらいの宿のドアをノックしてみるとなんとか迎えてくれて「後ろにいるあいつはどうしたの?」と言われ、付きまとわれてというと心配してくれました、、。純粋に宿に泊まってほしかっただけなのか、暇だったのか、あんなやり方してついてく人がいると思えません、、なんだったのでしょう。

オフシーズンだったので少し安く宿も取れたし、最終的によかったのですが、これ確か私の25歳の誕生日。笑 すごくいろいろ起こってしまった1日でした。。悪い運をここで全部使った感じでした。スリランカで嫌な思いしたのはこの日くらい。何か悪いことしたかしらとちょっと反省しつつ、早めに寝たのでした。。


ゴールの街自体は、海も町並みもきれいで素敵でしたよ〜!最後にきれいなゴールの写真を。







いろいろ想定外になってしまったものの、夜につくときはやはり宿は予約しておくべきでした。。ゴールの旧市街は小さくて宿自体が限られるし、夜は静かでメインのゲートもしめてしまう宿が多いようなのでより注意です。




タイに来て早半年が経ちました。
せっかくタイにいるのに、タイの生活のこと全然書かないので書いてみます。
タイにはタイ生活も長くて精通している強者がいっぱいいるので、その手の記事はちょっと気が引けてかけずにいたのですが、気楽に書いてみます〜。

当たり前だけれど、やはり仕事で住むのと、旅で訪れるタイはまた全然違っていました。
仕事をしていると忙しく気持ちの余裕もなくなっているのだなと思う事件があったのでいくつか。


●休みにするの、しないの、どっちなの?

出典:BIKE FOR DAD  https://www.bikefordad2015.com

12月、タイでは国王の誕生日が祝日になります。父の日と呼ぶ事もあります。5月くらいに母の日もあって、昨年はBike for Momといって、市内の道路を通行止にして市民がお揃いのTシャツを来て自転車で走行する、というイベントがあって大盛況でした。そして、タイ政府は、今回の父の日にもBike for Dadのイベントをやろうと試みたわけです。がしかし、なぜかその実施日が平日。祝日の木曜日と週末に挟まれた金曜日。道路止めるわけですから少なからず混乱が生じるはず、、、。タイ人スタッフたちは当然、このイベントの日も休日になるのではと随分前からそわそわ。結局多数の問い合わせを受けた政府からも「国の祝日にはしません」というアナウンスでした。この段階では私も大して気に留めずいたのですが、、
そんなこんなでイベント1週間前となった頃、今度は急に政府が「今度の金曜日は休日扱いにすることを推奨します」という中途半端なアナウンスをしたとのことで、またスタッフがざわざわ。。車出勤なら確かに道路が閉鎖されてしまうので出勤が困難だったりするのですが、うちのオフィスはBTSというスカイトレインで来れるので問題ないだろうと出勤日に。
そして、当日出勤後。今度はそのBTSも全線止まりますよとの噂。スタッフざわざわ。そんなにお仕事したくないの?と思いつつ、「夜中までお家に帰れなくなります」とのしつこい助言にムキになっているのもおかしくなってきて、自宅で勤務してくださいと家に帰しました。
のちにわかったのは、帰宅方向のBTS止まってなかったということ。あくまでごく一部の区間、時間だけ。

確かな情報源を知っておくことは本当に大切だと思ったのと、、、こんな国のやり方で多くの外国企業にも影響がでているはずで、国損ではないのかと不思議になりました。。




●7時間に及ぶ計画停電?


まさに今日いまなのですが、私の住んでいるコンドミニアムやその一帯が停電しているらしい。ちょっと前から共用スペースやエレベーターにお知らせが出ていたらしいのだけど、その張り紙もいつもの害虫駆除のお知らせだろう〜くらいにしか思っておらず、朝シャワー浴びてる途中に突如電気が消え、水シャワーになりました。笑 以前も普通に故障があったのでそのうち直るだろうと思っていたのですが、2時間くらい経っても戻らず、、。ドライヤー使えなくてそろそろ髪がぱさぱさ!と事務所で復旧時間聞いてみよ〜とエレベーターのったら、上記のNoticeがちゃんと出ていたわけです。しかも、8:30〜15:30の計7時間も。電力会社からの通達で、、、的なことしか書いておらず詳細な理由は不明。電力不足かな、、、。であればショッピングモールのクリスマス電飾さっさと撤去してくれ、もう一月ですよ、と思ってしまいます。




旅行の時は他人事で、「笑える、ツイッターにあげようw」くらいにしか思わなかったものの、働きながら時間を意識しているときはちょっとなあと思ってしまうところ。あったかい国は確かに備えるとか、そういう危機感を感じにくい風土ではあるのかも知れない。

それでもタイは日本より気持ちが楽なことは多いです。真っ黒なスーツの人たちに押しつぶされながらの通勤電車に乗らなくていいだけでも私の精神衛生状態は60%くらい担保できている気がします笑 (本当はもっと積極的な理由で自らタイに来て働いてるんですよ!笑)まだ半年なので、ちょっとずついろんな側面が見えてきたところでしょうか。タイ語があまり進歩していないので、やはり現地に精通するためには、積極的に学ばねばと思います。また何かおかしなことが起こったら、ちょこちょこ記録していこうと思います。



以前も「母のようなひとになる」という短い記事を書いてたと思うのですが。

学生のころから一人で海外に出て、旅したり、インターンしたり、日本帰ってもベンチャー企業に入社して、こうして海外で働いていたり。
私には「結婚願望、子どもが欲しい」という意思が皆無である(ていうか、できないでしょ、とさえ言われる)という認識を持たれていることがすっごく多く、前は都度本気で怒って落ち込んでいたことがありました。女として生まれたこの身体全部否定されたようで、いちいち怒ってしまっていました。みんなそんな意味で言ったのではないと今では思えるのですが。

ここ 最近まわりで、結婚、妊娠、出産する友人知人があまりに多く、どうして私は「結婚しなさそう」とか「子ども欲しくなさそう」とか言われてしまうのか考えてみました。

私は母のことをとっても尊敬していて、大好きで、母のような人になりたいなとずっと思っています。
小学校後半頃からの夢は、周りがお花屋さん、パン屋さん、野球選手、、みたいなのが圧倒的人気を誇る中、「主婦」でした。
(小学校前半は姉の真似して、作家と言っていました。笑 もちろん作家ってどんなもんかよう分かっておりませんでした。)

多分家庭に入りたいというよりは、外で働くロールモデルが近くにいなくてイメージ湧かなかったこと、⚪︎⚪︎屋さんみたいなのもあまりしっくりこなかったこと、何よりいつも近くにいた母が私のロールモデルだったからだと思います。家の家事をテキパキこなし、時間作って趣味のテニスに出かけてそこにお友達もいて大会にもでてて、英語が得意だったので小学生への英語の先生の資格試験を受けたり、主婦検定なるものの第一回を受験してみたり。パートに出たことも何度かあるし、自分の車をゲットしてからは、よく実家へ顔を出したり、テニスや買い物でも時間の融通が利くので、休みの日には私も一緒に買い物や映画に連れて行ってくれたり。

母と地元の仙台でランチ〜@カフェモーツアルト

私や姉の世話も大変な苦労をかけたと思いますが、母としてだけでなく一人の女性として常に、向上心とか、人生を楽しくしてやろうという意思がとてつもなく強い人だったと思います。その姿勢にきっと憧れていたのだと思います。どんどん自分の世界を広げていこうとする母に、さみしい思いをしたこともなかったですし。むしろすごいなあ、と憧れがどんどん強くなりました。

それから子育ての方法も面白かったなあと。そんな感じでとても真の強い母だったので、子育ても、幼稚園とかある程度大きくなってきたら、ほどよい距離感で見守ってくれていたように思います。もう最近になってから聞かされたのですが、私が小学生のころ、その日遊ぶ約束を取り付けられず帰ってきた私は母に「何をしたらいいかわからない」と泣きべそかきながら言ったそうです。そこで母が一言「この子自分で何もきめられないのね」と驚いたと。笑

なんだかその距離感、子どもながらに覚えている気がするのです。私が困った時、何か嫌なことをされたり言われた時、当の本人よりもムキになって怒ってくれて私がそこまで怒らなくても大丈夫だよと思うこともありましたが、自分で選択すべきと母が判断するものに関しては心配しすぎるのでなく「私はあんたじゃないんだから、自分で決めなさい。」「だれもあんたが失敗したって痛くもかゆくもないんだよ」と小さい頃から言ってくれていました。ものすごいあったかさで見守ってくれつつも、あくまで母と私は別人格であり、早く自分で選択し、決定をしていきなさいって育ててくれたように思います。

18歳まで育ったお家の近く(あまり写真関係ありません笑)

ちょっと母が大好きって話にずれてきましたが笑、そんな子どものころからの接し方も嬉しく思っていて、いつか母と自分の子どもをあやしながら一緒に自分の子どものころの話をしたり、子育てについてあれこれ話を聞いたり、そんなことが楽しみで、将来そうなるのが当たり前と思うようになっていったと思います。


そのうち、大学生になって、生きていくためにいろいろ模索する中で冒頭に書いたように、海外で働きたいと思ってそのようなキャリアを選んでいくことになるのですが、母になることが自分の中で当たり前すぎて人に語ったことがないあまり、キャリア一直線のひとと思われるようになったらしいです。そもそも仕事してたら結婚願望ないとか短絡的すぎませんかと思ってしまいますし笑、事実どれだけの物理的な障壁があるのかそのときまで想像の域を出ないわけですが。


やはり母になるという夢は叶えたい。
私も自分の母のような母になって、子どもが将来愛おしいと思える人生を歩めるように、あったかく見守ってあげたいと思います。


2015年、自分の中ですごく大きな変化だったのは、自分の身体のこと大切に考えよう!と思えたことだと思います。

春ころに、なぜだかどこかに海外に行きたいなと思って、思い立った旅先がスリランカでした。
前々から名前は知っていて、アーユルヴェーダという存在もなんとなく聞いていて、たまたまいまのタイミングかなと感じてスリランカを改めて旅先として調べたように思います。

かつ、せっかくアーユルヴェーダ受けるなら、お互いノンネイティブな英語より(すでにサンスクリット語でもないし)、日本語でしっかりじっくりお話してから身体をみてもらいたいと思って、あえて日本人オーナーさんのアーユルヴェーダスパを探して予約して。
普段はあまり海外の日本人オーナーさんのところは、他の日本人に会いそうで避けてしまうのですが。

そのスリランカ行きのあとから、不思議なくらい調子が良くなったと感じたので、身体のこと考えることでこんなに生きるのがラクになるのかと驚きつつ、私にとってはとっても大きな発見になりました。それまであまり自分の体のこと大事にしてあげてこなかったとも気づきました。
自分はこの身体と一緒にあるのに、いままでいったいどこをメンテナンスしようとしながら生きてきたのだろうと不思議にすら思います笑



2016年早々に熱を出して休んでしまったのですが、そういや熱が出た時どうしたらいいとか、どういう仕組みで熱が出て、それはつまりどういう状態とか、自信もって答えられるほどの知識すらなく。いままで本当に何を信じて対処してきたんだ笑 とも思ったり。。まだまだ自分の身体なのに知らないことがいっぱい。



身体という字を使っているのは、心の状態も含めているということです。心の方はもともと調子を崩しがちなので意識はしていたものの、積極的に自分の良い状態をつくる方法を探ったりはなかなかできておらず。生きるのに必死なんだよとばかりに笑、ずっとそんなこと考えている余裕がないという気持ちでした。そもそもそこに切り込むことで、その不安定さを脱せられたんだなと意識できるようになってきたのは、この2年ほど。結局タイミングがあったから気付けただけで、自分で脱せられていたのかはいまではあまり自信ありませんが。


以来、自分のコンディションが100に近い時はどんなときか、その100に近づける方法を知っていたら、それだけでもどんだけ生きてく助けになるかなと思ったら、やっぱり身体のことしっかり考えることは重要だと、やっとその価値を思って肯定できたのだとも思います。それまでちょっと体がどうのって、胡散臭いくらいにしか思っていなかったし、「体にいい!」みたいなテキトウそうな謳い文句も世の中に多すぎて抵抗もあったのだと思います。

働き始めると、体調崩すと「自己管理がなってなくて」みたいな言葉を私も周りもよく言っているのを聞くけど、自分がどうしたらベストな状態を管理できるのか知っているひとってどれほどいるのでしょうか。私が鈍感過ぎただけで、実はみんな頑張っていたのかもしれないけれど、なかなか自分が調子の良い平時にじっくりそんなこと考えられないでいるのではと想像したりもします。



まだまだ勉強始めですが、私はアーユルヴェーダ的なセルフケア(予防)の考え方がとてもしっくりくるようで、その見方を通すと何か調子悪く感じても、一旦すこし距離を置いていまの自分の状態はどんな状態だろう?と客観視しようとすることができるようになってきました自分のことではあるのですが、一旦そとから眺めるから、焦らず冷静でいられる。対処方法があるはずだと思える。これによって、本当に生きるのがラクに感じられるようになったなあと。やっとまともに何かに集中できるところに来た気がします笑

2016年は、引き続き、自分の身体としっかり向き合って調子を整えて、そこからもっと幅広く活動していきたいと思います〜!


年末年始、少し日本に帰国していました。

東京では、浅草(入谷)にある古民家ゲストハウスのtoco.に滞在〜
ちょっと仕事やらでばたばたしてしまって、あまり宿におれず、他の宿泊者のみなさんとほぼ交流できなかったのですが、、次はもっとゆっくりいきたいなと思います。広いキッチンもあるので、ご飯も作りたい。前日までに頼んでおくと朝ごはんつくってくれて、1回だけ食べれたそのおっきなかわりおにぎりとお味噌汁が幸せの味でした。



そして、近所に銭湯があるというので、行ってみました!実は1月4日にもチャレンジしたのですが、まだお休みだったので最終日にリベンジ。

宝泉湯というお湯やさん。広めで、電気風呂、座り風呂、ミスト薬草風呂と水風呂がありました。別料金だけどサウナも。いつものパターンでまず身体流して、長めに湯船に。そして、水風呂に。最後にもっかいあったかい湯船に。すぐのぼせてあまり長めに入れないので、全部合わせてもせいぜい30〜40分。

久しぶりにお風呂はいると、嘘みたいに体の芯からほかほかしていて面白いですね。一回水風呂挟むと、なかなか湯冷めしません。日本の寒い冬もお風呂あったら幸せになるよな〜と、京都の銭湯が身近にあった生活を思い出しました。そして12時くらいにお布団はいって、朝までぐっすり一度も起きずに寝れたのに感動、、。しばらくこんな気持ちい眠りなかったです。恐るべしお風呂パワー。

バンコクに住んでいると、日本食もあるし、割と快適に過ごせてしまうのでそんなに日本恋しくなることないけれど、お風呂と冬の冷たくて澄んだ空気は少し恋しくなるなと思います。前にも書いたけど、早くバンコクのお風呂屋さんも行ってみたいと思います。。




久しぶりにお仕事で書いていた自分の文章を褒めていただいて、少し嬉しかったので、文章書くことについて。

私は、自分の性格や容姿や能力といったダイレクトなものについて褒められてもあまりピンと来なくて、素直に喜べないことが多々あります。
失礼な話、「本当にそう思ってもらっているのだろうか」と疑り深くなってしまって。
自信がないし、褒められても素直に喜んではだめというよくわからない空気読もうとすることを習慣にしてきてしまった気がします。ちなみに照れ方もへたくそで可愛らしげゼロ。むしろ相手を睨みつけてしまったこともいっぱい、不器用すぎます。だから素直に「ありがとうございます〜」って振る舞える人がきらきらして見えました。なんなら少し冷めた目で見ていましたごめんなさい。でも最近はすこし図々しさを身に付け始めましたよ!

ただほぼ唯一、素直に褒められて嬉しいのが、自分の文章や写真について言及してもらったとき。
以前、小さなwebのコラムに寄稿させてもらったものが、思いがけず反応をもらえたことがあって、とてもとても嬉しかったのを覚えています。
近しい友人なんかからはもちろん、あまりお話したことない人や少し距離を感じていた人、自分がとっても尊敬している人たちから反応をもらえたのが意外で、余計嬉しさが増したのかと思います。

友人で、「自分の写真を見られるのは裸見られるより恥ずかしい」って言ってる人がいました。笑
確かに、自分の視点や感性が切り出されてしまう写真や文章って、すごくその人をさらけ出した存在だなと思います。人生で触れてきたものも匂わせてしまうとも思います。
もちろんいろいろコントロールはできるでしょうが、そのままを表現しようとするとなおさら。
※私は裸の方が恥ずかしいです。

もしかして文章は、自分が一番好きな自分が表現できるからなのかもしれません。結局、私は自尊心が尊大だと思います。笑 だからこそ批判されたりするのが未だにこわくて躊躇してしまうこともあるけど、やはり、何度かそうやって私の文章に「感化された、元気づけられた、わくわくする気持ちになった」とか嬉しい反応をもらうと、書きたいなと思います。

なので、2016年もほそぼそ書いて行こうと思います〜。