どうせなら色に溢れた世界に生きたいなあと、こんなブログタイトルになりました。

2015年7月〜バンコクに住んでいます。
タイで事業立ち上げしつつ、ときどきバックパッカーしています。

学生の時に1年間休学して、アジアをバックパックで旅して、インターンをした時の記録とか。就職後も長期休みにちょこちょこ旅をしているので、その辺りの記録など。


旅のことと、毎日のことと、ゆっくり書きます。


いろいろあって、
‘人生、準備してる暇なんてないのかもしれない’
と思った。

ずっと本番。
何があるかわからない。
準備なんてしても、やってみないと、どうなるかなんてわからない。

何が起こるか分からないのに、
どこにそんな悠長に準備している暇なんてあるだろう。

走りながら、準備すればいい。
とどまっている必要もない。
もっと駆け抜ければいい。

それでもきっとひとの人生じゃ足りない。

だったらなおさら、準備なんかしてないで、
走り出せばいい。




ダージリンからバラナシに向かう途中、パトナ駅で乗り継ぎだった。
はじめての乗り継ぎで、しかも電車がwaiting listで心配していたのだけど、乗り継ぎ便が2時間、4時間、5時間と遅れ、結局予定の7時間遅れでやってきた。そんなで、だいぶ駅で時間があった。

早朝についたものだから、ホームでぼーっと座ってると、だんだん日が明けてすごくきれいだったな。

最初は日記を書いたり、チャイ飲んだり、ガイドブック読みながら計画立てたりしてたのだけど、やっぱり時間を持て余す。
パトナは結構治安がよくないと聞いていて、寝ることも避けたくて、たまにリストを探しに歩いたりしつつも、とにかくホームに座って人を観察していた。


そしたら、視界の前の方で、ずっとそこにあった影がうごいて。
何かモノだと思ってたら、人が寝ていたようだった。

インドの駅のホームなんて、電車待ちの人たちがごろごろと寝ているものだから、そこまでは驚かなかったのだけど、どうやらいつもと様子が違う。

ずっと寝ていたからか、身体がうまく動かないよう。
ゆっくりゆっくり上体を起こすと、足を引きずるように移動しようとしていた。

そこでやっと気付いたのだけど、その男性は服を身につけていないようだった。
身体にかけていた布だけで隠しながら、移動しようとしていた。

すごくびっくりして、しばらく目を離せなかった。

物乞いや、手足がなかったり、曲がっていたり、目がなかったり、そうした人たちが乞う姿は幾度となくみていたけれど、このとき目の前にいたその人は、自分で歩くこともできないし、物を乞うこともできないよう(しようともしていない)であったし、仲間もいないし、本当に本当にもう消えてしまいそうだった。

何を感じたのかもはやよくわからなかったけれど、
なぜこんな状態になるまでほっておかれたのだろうとか、
どうして服まで失ったのだろうとか、
そんなことを思った。

あまりに何もないように見えて、纏えるような布とか、それよりも水や食料か、自分が用意出来るものはいくらでもあるはずなのに、結局動けずに、どうしようとずっと様子をうかがっていた。

そしたら、しばらくしてインド人が水とビスケットを与えて、
たぶん「服はどうした」みたいなことを聞いている。
どうやら、服は布と一緒に引きずっていたらしく、うまく曲がらない関節に苦労しながら、その人たちにとりあえず着ろと施されている。筋力がもう本当に残っていないみたいだった。自分では着れなかったんだろうな。

そのうち、何人かインド人が集まって来て、何か相談している。
彼の腕を持ってどこかへ連れて行こうとしたけど、男性の足はもう本当に力が入らず、結局駅から借りたのか車いすに乗せられ、どこかへ連れて行かれた。きっと病院へ運ばれたのかな。



このことが、とても衝撃的だった。たぶん、ショックで泣いてた。
彼は年は若いように見えて、これまでどんな人生を歩んで、どうして裸で駅のホームに寝そべっていたのだろうとか。もしいま人に助けられて、これから、どのように生きていくのだろうとか。こんな状態になって、身寄りがあるとも思えず、いっぱい、どうして?と思った。彼自身が生きたいと思えているのかも、信じられなかった。


汚い町や、騙そうとする人や、そういうのは結局やさしい景色や思い出で上塗りできてきたけど、今回のような場面を見るのははっきりと嫌だと思った。これは、インドの本当に解決されなくてはならないことだと思った。どんなに愛おしい人間がいたって、こんな状況を起こしてしまうのは、絶対あっちゃいけないと思った。


インドのこと、まだ何も知らないのだろうけど、
いままで、自殺率が高いことは知りつつも、インド人は生きる意志がすごく強く見えていた。だから余計、生きる意志があんなにも薄れて見えてしまう人間をみたことがショックだったのかな。


でも、私は何ができただろう。
どうすべきだっただろう。








東南アジア旅してる中でも、ベトナムとかはだいぶ野良wifi飛んでたり、普通にpass教えてくれたりで助かってたのだけど、タイは案外お店はいらないとwifi使えない(ゲストハウスもロビーだけだったり、2~300Bくらいだとないとこも多い)ことが多くて困った。

で、たまたま繋がったときにググりまくっていると、
「true cafeのwifiが便利ですよ」、と。

結果、すっごく便利だった。とくに、1ヶ月近くいるなら。
バンコクだとほんとによく見かけるtrue cafe。
(いや、Siamに集中しすぎなだけかな)

基本は、true cafeの店舗が一番使えるけど、結構なシェアなキャリアらしく、街中でもこのwifiだいぶ飛んでる。カオサンの宿でも、パラゴンやMBKあたりのモールの中も、ランパーンやチェンマイの街中でも、飛んでた。これは便利。


【使い方】
①true cafeに行きます。
Paragonの中とか、ParagonとBTSのSiam駅挟んだ向かいあたりとか、カオサンから民主記念塔に向かう道沿い(塔に向かって右手)とかにもある。(でも、Paragonの店は下記のカード品切れって言われたことある...。)

②「wifiのプリペイドカード欲しい!」っていう。
150Bで1ヶ月有効なIDとpassの書いてある紙ぺらがもらえる。

③好きな媒体でtrue wifi選択して、上記IDとpassを入力するだけ。


便利!
まあ、普通に店入ればいいのかもしれないけど、「道端でwifiつながる心強さ=150B」は安い、と私は思う。





書きたいことはいっぱいあるし、
人としゃべりたいこともいっぱいあるけど、
最近それが自分の何か入れ物から溢れ出してそれを整理しきれないくらいになって、結局外にだせず、自分の身体の中だけであふれ続けるっていう現象になってる。
最近っていうか、しばらく前からかなあ・・・笑

自分の発言が評価されるのがこわかった時とは違うこわさ。

ちゃんと伝えたいと思いすぎて、言葉にならなくなる。
大事にしようとしすぎて、だせなくなる。

でも、ネガティブな感情は嫌みなくらいどストレートに出てしまうので、ポジティブな気持ちはなるべく言葉にしようと試みてる(まず、ネガティブな感情ださない努力しろって話ですね)。けど、やっぱり、いろいろ考えると、最終的に「ありがとう」になっちゃう。背景とか、その「ありがとう」に行き着くまでの道は違うのだけど。そして、自分で単純化して伝えてるくせに、ちゃんと伝わってるかなあって不安になる。なんて厚かましい笑

しかし、言葉にすることは好きだったから、このまま自分の表現のかたちを失いたくはない(そもそも確立してないし、感覚、程度だけど)。でも、悩まなくていいことまで悩み込まない練習をしなきゃ、もたないなあ。

あんばい。
人生のあんばい、むずかし。

夜はあかんね、と思いつつまた夜更かし。




ちょっと、jugemで書いてた以前のブログをbloggerに移行して、そのまま放置してたやつを編集しながら振り返ってた。ら、移動することって記事を書いてた。
少し違う側面だけど、タイトルのようなことを最近も考えてみたので文字にしてみる。できるかな。笑

大学はいるまでは、きっと4年で何事もなく卒業するつもりだったのに、なんだかんだ道をそれてそれて、5年間大学生してました。もうすぐそれも卒業する(はず)なのだけど、この5年間は、京都に3年くらい、大分に1年住んで、海外1年近く放浪したり、根無し草な感じがすることが結構あった。

それぞれの場所は好きだったし、地元で大好きな仙台はずっとルーツとして存在はしているけど、ふと「わたしどこに帰ればいいんだろう」ってさみしく思うことがあった。やっぱり、仙台だってどんどん変わっていくし、人だって変わっていくし移っていくし、なんだか取り残されたようでこわいし不安だなあとも。

でも、そとからみたら、私の方こそ好き放題行ってしまうので、さみしい気持ちを持たせてしまったりしたかも分からないね。両親とか。

ただ、これからも結局は、海外に行きたいと言い続けていて、そういう人生つくってくんだろうなと思う。

そうなると、このさみしさとはどう付き合っていけばいいのだろうと。笑

整理ついてないんだなあ。でも、なんか自分なりに折り合いつけていかなあかんのだろうな。どこでも、じぶんはじぶんっていっぽん線を持てたら、ゆらゆらしつつも、進んでいけるだろうか。

自分のことばっか優先して、贅沢で親不孝な生き方かもとも思う。でも、人生なんて大好きな人たち、みーんなと一緒にいられるのでもない。ちゃんと大事に思いながら生きていけたら、どこにいても大丈夫って思えるようになりたい。大丈夫って大事な人に思ってもらえるくらいになりたい。

そういうことかなあ。





そういえば、タイトルのことですが、
タイのランパーンを自転車で疾走してBigCで涼んでいたとき(笑)、たまたま見つけたこのTシャツに書いてたのが気に入って何となく頭に残っていたもの。(ちゃんと写真とってた私えらい)


200B(600円)くらいのしかもスーパーで売ってたTシャツですが、私は何だかとってもインスピレーション受けてしまい、いいなあって思ったのでした。どうせなら、カラフルな世界で生きたいなあ、そんな生き方してやりたいなあと思ったのでした。

(でも実際買ったのは、100BのTシャツ。いま思えばなぜこれを買わなかったんだろうか...)

そして、将来のこと、そのうち書くかもしれないけど、自分がやりたいこと表現する時にいいなあと思ったから温めてたんだけど、ひとまずここのタイトルにしてみた。

という、お話でした。