母のこと

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母の3回目の命日。

母はクリスチャンではなかったけど、結婚式をあげた教会でお別れしたいとの父の希望もあって、お葬式も教会でしました。

調べたら教会でも3年目に記念式をやることが多いみたいですが、うちは特にしないので、私は今日もタイに。(親戚や母の友人など、実家に顔見せていただくのは歓迎してます、父のお話相手していただくことになりますが笑)

私はそれぞれの悼み方でいいと思っているから、
今日はゆっくり過ごそうと思います。

もう3年も母と会ってないなんて、まだ不思議な心地です。いちばん大好きで尊敬する母には、なかなか追いつけそうにありませんが、それなりに人生楽しめるようになってきました。笑 元気にしてたら母も喜んでくれるかなあと。

ゆっくりですが、私は私のペースで。
いつ死んでもいいように、ぜんぶぜんぶ楽しんで生きていきます、引き続き。

「わたしはいま死んでも大丈夫なんだ」って人にいうと、もっと生きようよ!!って言われるけど笑、意識のレベルでは、たぶんその辺の人よりよっぽどポジティブに生きたいと思って生きてるし笑、毎日楽しんでるし、大好きとありがとうは言葉で伝えるようにしているし、無意識のレベルでも、どんな死に方でも自分の身体が最後まで命を全うしてくれることに代わりはないし、ほんとにひとはいつ死ぬかわからないんですよって声を大にして言いたい(わたしは超ポジティブです)。

思いの馳せ方はいろいろだし、何かを否定する意味ではないですが、配偶者や小さな子どもがいたっていなくたって、いくら若くたって、人は死ぬときは死ぬし、命は長短じゃないと思います。命が生まれた瞬間から、自分がいつか死ぬという自明の事実に向かって、意識でも無意識でも自身が全うした結果が、死なんだろうと思います。


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