先日、学生の時から憧れていたインドのラダックへ行ってきました。
タイのバンコクからだと、デリーまで3時間半ほど、デリーからレーという町まで1時間ちょっとと、かなり行きやすいところです。

ただ飛行機降りていきなり3500m越えということで、高山病のリスクがあるため、私もだいぶ余裕を持って1週間ほどの予定で出かけました。

今回は、ラダックの旅のまとめを。詳細は別の記事にしたいと思います。



【旅のまとめ】


●期間 1週間ほど
●時期 5月のGWのころ、ラダックは冬の間雪に閉ざされるので5月にやっとシーズンが始まったばかり。
 オフの間閉まっていた宿やレストランがオープンし、街に活気が戻って来る季節です。
 夜はまだまだ寒いですが、昼間は日差しががんがんなので、暑いくらい。
●ルート
レー(ここを起点に、遠出します)
→パンゴンツォ(日帰り、片道4時間)
→シェイ、ティクセイ(日帰り、全部で 3時間くらい)
→ヌブラ渓谷:パンナミック、サムール、デスキット、トゥルトゥク(2泊3日)

●費用感
・ゲストハウス シングル750円くらい〜
・各地への車をチャーターするので、人数が集まれば割安に
・食事 150円〜でカレーやチベット料理が食べれて、おなかいっぱい

●Wifi
宿、カフェwifiあるところもあるけど、ほぼ繋がらないと思っていた方がいい
そもそもかなり停電する(1時間くらいだったり、夜中から朝まで復旧しなかったり、、)

●シャワー
お湯シャワーがでるところは、1500円〜以上の宿かな
シャワーがでなくても、ほとんどの宿でお湯のバケツをいれてくれます


●気をつけたいこと
高山病の対策。これは体質にもよるらしいのでどうしようもない部分はありますが、、レーについてからしばらくは休息とること、たっぷりお水を飲むことが大事とのことです。私は今回ほぼ症状がでなかったものの、周りでは、レーについた初日に入院した人や、あまりの頭痛にツアーをキャンセルした人もいました。
余裕を持って、最初の2日くらいは、レーでゆっくり歩いて街をみたりするのがおすすめです。

ツアーの仲間を探すのも案外苦労したので、この時間でツアーさがしつつ、高地順応もできて、ちょうどよかったです。
時期にもよりそうですが、ツアー仲間を見つけるのが不安な人は、日本にいるときに問い合わせしておくと安心です。Hidden Himarayaというツアー会社の上甲さんに私もとてもお世話になりました!ここは、日本にいるうちから予約してくる人も多いようでした。
日本語でやりとり可能ですし、おすすめです。


パンゴンツォ


シェイの王宮

ヌブラ渓谷

トゥルトゥク



とにかく自然が破壊的なスケールでした。
人間ってちっぽけだなと。普段は人間の文明のなかで生きているので忘れがちですが、自然のなかで生かされているのだなと実感できる場所でした。


海外で働くことがもっと身近な選択肢の一つになればいいと思います。


実際に海外に住んでみたり、旅先で出会う人の生き方を聞いていると、本当はもうすでに多くの人が選択しているものだと分かるのですが、日本にいるとその事実があまり見えてこないかもしれません。「この人たちは特別。すごい」と何か一つ、自分とは一線を引いてしまいがちな気がします

この間、幸せボンビーガールでタイへの移住が特集された時、特に 「あなたでも行ける!」みたいな設定だったので反響がすごかったようで、やっぱり日本にいるとそういう情報がまだまだ少ないってことなのだなと思いました。ちょっといいことだけ言い過ぎ!っていう反応も現地では多かったですが笑、選択肢として身近にあるという点については事実だと思います。


ホアヒンのビーチで

私が「海外で働く選択肢が身近なものである」と考える二つの理由について。


理由①異国の地って、日本国内だって同じこと。「全然違う」が前提の海外の方が障壁が低い

確かに、知り合いがいない異国の地に一人で移住するなんて、すごく勇気がいることに思えるかも知れません。でも、それって結構日本の中で移る時だって似たような感覚だったよなと。私が地元の仙台から大学進学で京都に出た時、しばらくカルチャーショックで関西人恐怖症になったことを思い出します。笑

言葉もまったくわからないわけではないですが、実は私という人間を形成してきた文化、言葉という前提が結構違うことに盲目的になり、なんだか理解しあえている気がしないなあとひどく不安だったり恐怖さえありました。国内で特に難しくしているのは、こういう同じ日本の中という考え方な気がします。みんな同じ前提のものに生きている、という思い込みが強すぎて、私みたいに苦しむひとも結構いるのではないでしょうか。

同じ日本で、確かに共有してきた多くの前提もあるけれど、文化や言語ってほんとうにその土地によるし、そこで形成される人格への影響は相当だと思います。そのことを意識できないままだと、日本国内であったって、順応するのに時間はかかるのではないでしょうか。

そしてそれが海外だった場合。そもそも全部違うんですよね。笑 あまりに違いすぎて、最初から違うものとお互いに承知しているからこそ、ほんとうに人間関係を築きたければ互いに理解しようと素直に努力ができると思います。



理由②日本でしか通用しない価値基準のなかで考えてしまいがちということ。ちょっと外に目を向けると、もっといろんな価値基準があります

もう一つ、日本の東京みたいに周りがせかせかしていると、なかなか自分の環境を俯瞰できなくなってしまいがちだと思います。一生懸命な人ほど、どんどん周りが見えなくなりがちです。

タイに来てみると、いろんな外国人が働いています。そして、タイ人もいろいろで、日本人よりよっぽど高いお給料をもらって、会計士など専門性の高いお仕事をしていたりします。まだまだいろんなところにハンデはありつつも、日本よりも露骨に、国際的な人材力競争を目の当たりにします。そんなところに身を置いていると、日本だけを見ていたときなんて、とても小さな世界を見ていたんだなと思うのです。

この状況を、危機感としてもそうですが、むしろプラスに捉えてもよいなと思います。まだまだ自分の知らない世界があって、日本だけの基準で自分を評価していたって、もったいないなと思うのです。日本だけの基準で自分をうまく振る舞えなかったり、仕事でうまくいかなかったり、すり減らしているのだとしても、そんな基準は日本でしか通じないもので、外に出てみたらまったく違う価値基準があります。

もちろん、どこに行ったって自分の軸がしっかりしていれば、ぶれることも少ないのかもしれませんが、特に日本は共有することを好む文化であると思うので、そこに生きづらさを感じる人には、世界を外へ外へ広げることは、すごく有効であるように思います。



この間久しぶりにあったお友だちが、たまたま海外で働くことが決まっていて、ごく自然に海外で働くことを選択したように見えるその友だちの顔がとてもすっきりいきいきしていて、すごくすてきだなと感じました。


自然に、生き生きした生き方を選択できる人が増えたらいいなと思います。




何度かこのブログについて書いているのですが、
もう少し詳しく書いてみます。

先日、GWにインドのラダックに行ってきました。
本当に、日常では交差することなかった景色や空気やいろんなものを目の前にして、改めて考えたことがあるので、アップデート。


ラダック、レーのゴンパから


「世界」って言葉がありますが、
物理的な空間としての世界でなく、自分が見ている、生きているという意味の「世界」について、これって主観そのものだと思います。どんな世界を見たいか、どんな世界に生きたいでいかようにもなるのだと思います。

私は選択肢を持てる恵まれた環境にあるから言える、というのも確かだと思います。でも、そうであればなおさら、自分の選択によって色に溢れた世界に生きたいと強く思います。

生きにくい、生きていたくないと思いながら生きている人が、
生きたいと思っていきていけたらいいな。

とっても大きな目標ですが、
旅に出たり、海外で働く、海外で生きるという選択をしている私が
世界ってこんなにも美しい」って心からじわじわ感じられるような瞬間や、生きることに少しでもわくわくできるきっかけを発信できればいいな、と思って書いています。

何か、そんな感覚を掴みつつある気がするので、まずは自分がそんな生き方を体現できるように。
DISCOVER A WORLD、SHAPE A WORLDできたらいいな。
生きたいと思える世界に出会う。生きたい世界をかたちづくる。

そんなこんなで、
色の溢れる世界に生きたい|DISCOVER A WORLD FULL OF COLORS
というタイトルになりましたとさ。