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母の3回目の命日。

母はクリスチャンではなかったけど、結婚式をあげた教会でお別れしたいとの父の希望もあって、お葬式も教会でしました。

調べたら教会でも3年目に記念式をやることが多いみたいですが、うちは特にしないので、私は今日もタイに。(親戚や母の友人など、実家に顔見せていただくのは歓迎してます、父のお話相手していただくことになりますが笑)

私はそれぞれの悼み方でいいと思っているから、
今日はゆっくり過ごそうと思います。

もう3年も母と会ってないなんて、まだ不思議な心地です。いちばん大好きで尊敬する母には、なかなか追いつけそうにありませんが、それなりに人生楽しめるようになってきました。笑 元気にしてたら母も喜んでくれるかなあと。

ゆっくりですが、私は私のペースで。
いつ死んでもいいように、ぜんぶぜんぶ楽しんで生きていきます、引き続き。

「わたしはいま死んでも大丈夫なんだ」って人にいうと、もっと生きようよ!!って言われるけど笑、意識のレベルでは、たぶんその辺の人よりよっぽどポジティブに生きたいと思って生きてるし笑、毎日楽しんでるし、大好きとありがとうは言葉で伝えるようにしているし、無意識のレベルでも、どんな死に方でも自分の身体が最後まで命を全うしてくれることに代わりはないし、ほんとにひとはいつ死ぬかわからないんですよって声を大にして言いたい(わたしは超ポジティブです)。

思いの馳せ方はいろいろだし、何かを否定する意味ではないですが、配偶者や小さな子どもがいたっていなくたって、いくら若くたって、人は死ぬときは死ぬし、命は長短じゃないと思います。命が生まれた瞬間から、自分がいつか死ぬという自明の事実に向かって、意識でも無意識でも自身が全うした結果が、死なんだろうと思います。


\あけましておめでとうございます/

2017年になりました。
日本に一時帰国して、実は大阪に残していたお部屋の引払いでばたばたな年末年始でした。小さいけれど、何だかあったかくて居心地の良かった畳のお部屋。片付けながら考えたことを少し書き残しておきます。

学生の頃からちょこちょこ引っ越ししていたこと、それから休学してバックパックしていたこともあり、最近はあまりたくさんのモノを溜め込まなくなってきました。今回は初めて一人暮らし始めるときに買った家具や家電たちの処分があったので結構な量になってしまったのですが、、。

何度か引っ越ししてわかった事は、、
○モノが増えれば増えるほど、心が重たく、フットワークも重たくなってしまうこと
○自分がわくわくするものが、自分が常に見渡せる分だけ、身の回りにあることの幸せ

私はバカみたいにモノに対して思い入れを持ってしまうため笑、一度手にしたものはなんだかんだ理由をつけて、手放し難くなってしまうのです。でも、形あるものは必ずいつかなくなります。モノだって、ひとだって、自分だっていつか消えてなくなります。

そう思ったら、自分の外側になるものに執着することが減ってきました。だって消えてしまうものに囚われていたら、いつまで経っても幸せになれないと思ったから。外側のものに寄るのではなく、自分の中に幸せの要因をつくることでしか、幸せにはなれないと思ったから。

そしてバックパック一つで、半年だって一年だって、生活できてしまうことを知ったから。まさに、足を知る。

でもだからと言って人との付き合いをドライにしたり閉鎖的にしてしまうのでなくて、最近はむしろ、心が開けるようになってきたように思います。なぜなら、ひととの出会いも儚いものなら、いろんなひとと出会って話がしてみたいし、大切な想いはちゃんとそう思ったときに言葉にして伝えたいと思ったから。新しい出会いを大事にできるようになったし、気張らず楽しめるようになった。

最近は自分の本当に欲しいと思う、そばに置いておきたいと思う、そばにあったらワクワクしてしまうとっておきのものに厳選してお買い物をしています。バンコクのお家のゴミ箱ですら、なぜか気に入ったのになかなか出会わないので、ビニール袋です笑 (バンコク在住歴すでに1年半ほど、、)

そんな選択を一つ一つ重ねていたら、とっても生きるのが楽で楽しくなってきました。お気に入りのものに囲まれて、新しい出会いまで広がって。大好きなお部屋を引き払うのは、やはり心が少なからずさみしいって言っていますが、どんどん理想の生き方に近づいているなあと。

何年か前には、こんなに自分の人生楽しめるようになるなんて想像もできなかった。もちろん波はあるけど、生きるのが楽になるなんて思ってもみなかった。いまは一つ、自分の人生をこんな方向に持って行きたいというイメージが持てるようになったから、この一年も、楽しい一年にしたいなと思います。楽しもう。





何度かこのブログについて書いているのですが、
もう少し詳しく書いてみます。

先日、GWにインドのラダックに行ってきました。
本当に、日常では交差することなかった景色や空気やいろんなものを目の前にして、改めて考えたことがあるので、アップデート。


ラダック、レーのゴンパから


「世界」って言葉がありますが、
物理的な空間としての世界でなく、自分が見ている、生きているという意味の「世界」について、これって主観そのものだと思います。どんな世界を見たいか、どんな世界に生きたいでいかようにもなるのだと思います。

私は選択肢を持てる恵まれた環境にあるから言える、というのも確かだと思います。でも、そうであればなおさら、自分の選択によって色に溢れた世界に生きたいと強く思います。

生きにくい、生きていたくないと思いながら生きている人が、
生きたいと思っていきていけたらいいな。

とっても大きな目標ですが、
旅に出たり、海外で働く、海外で生きるという選択をしている私が
世界ってこんなにも美しい」って心からじわじわ感じられるような瞬間や、生きることに少しでもわくわくできるきっかけを発信できればいいな、と思って書いています。

何か、そんな感覚を掴みつつある気がするので、まずは自分がそんな生き方を体現できるように。
DISCOVER A WORLD、SHAPE A WORLDできたらいいな。
生きたいと思える世界に出会う。生きたい世界をかたちづくる。

そんなこんなで、
色の溢れる世界に生きたい|DISCOVER A WORLD FULL OF COLORS
というタイトルになりましたとさ。




Lalitpurの向田麻衣さんの言葉、淡々と透き通っててきれいで、それなのにかつパワー感じるときと、しっとりしてて呑まれそうになることがあります。



TED×SFCでのお話を聞いてすごく好きになって、TEDなイメージだったパフォーマティブなスピーチでなくても、こんな引き込み方もあるんだなとすごく斬新だったのと。繊細だけどパワフルでわくわくさせてくれて、私自身もパフォーマティブになりたいというより、こんな風に伝えられたり、トリガーをつくれる人になりたいなあと思いました。




でもそのあと、少し前に出版された『美しい瞬間を生きる』では、デモーニッシュな雰囲気を感じて。エピソード的にもだけど、女独特のずしっていう感情とか。私も、影とか、少し落ちてく世界に魅力を感じるけど、ちょっと深くなりすぎたら本当に社会に出て来れなくなりそうになるのでこの本は読んでいて少し危機感を持ったのを覚えていて笑

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●現代ビジネスでの対談
朝吹真理子の「ものがたり」の源流~狂気や冷酷さを深く受け入れることからはじまる。
朝吹真理子×向田麻衣【第2回】


この対談を見ていて、そういうのに惹かれて、あえてそういう言葉も使う人なんだなと発見でした。だからこそ出てくる魅力もあるんだと思いつつ。自分の言葉を持っているからかな、素敵です。朝吹さんの小説も読んでみています。





以前も「母のようなひとになる」という短い記事を書いてたと思うのですが。

学生のころから一人で海外に出て、旅したり、インターンしたり、日本帰ってもベンチャー企業に入社して、こうして海外で働いていたり。
私には「結婚願望、子どもが欲しい」という意思が皆無である(ていうか、できないでしょ、とさえ言われる)という認識を持たれていることがすっごく多く、前は都度本気で怒って落ち込んでいたことがありました。女として生まれたこの身体全部否定されたようで、いちいち怒ってしまっていました。みんなそんな意味で言ったのではないと今では思えるのですが。

ここ 最近まわりで、結婚、妊娠、出産する友人知人があまりに多く、どうして私は「結婚しなさそう」とか「子ども欲しくなさそう」とか言われてしまうのか考えてみました。

私は母のことをとっても尊敬していて、大好きで、母のような人になりたいなとずっと思っています。
小学校後半頃からの夢は、周りがお花屋さん、パン屋さん、野球選手、、みたいなのが圧倒的人気を誇る中、「主婦」でした。
(小学校前半は姉の真似して、作家と言っていました。笑 もちろん作家ってどんなもんかよう分かっておりませんでした。)

多分家庭に入りたいというよりは、外で働くロールモデルが近くにいなくてイメージ湧かなかったこと、⚪︎⚪︎屋さんみたいなのもあまりしっくりこなかったこと、何よりいつも近くにいた母が私のロールモデルだったからだと思います。家の家事をテキパキこなし、時間作って趣味のテニスに出かけてそこにお友達もいて大会にもでてて、英語が得意だったので小学生への英語の先生の資格試験を受けたり、主婦検定なるものの第一回を受験してみたり。パートに出たことも何度かあるし、自分の車をゲットしてからは、よく実家へ顔を出したり、テニスや買い物でも時間の融通が利くので、休みの日には私も一緒に買い物や映画に連れて行ってくれたり。

母と地元の仙台でランチ〜@カフェモーツアルト

私や姉の世話も大変な苦労をかけたと思いますが、母としてだけでなく一人の女性として常に、向上心とか、人生を楽しくしてやろうという意思がとてつもなく強い人だったと思います。その姿勢にきっと憧れていたのだと思います。どんどん自分の世界を広げていこうとする母に、さみしい思いをしたこともなかったですし。むしろすごいなあ、と憧れがどんどん強くなりました。

それから子育ての方法も面白かったなあと。そんな感じでとても真の強い母だったので、子育ても、幼稚園とかある程度大きくなってきたら、ほどよい距離感で見守ってくれていたように思います。もう最近になってから聞かされたのですが、私が小学生のころ、その日遊ぶ約束を取り付けられず帰ってきた私は母に「何をしたらいいかわからない」と泣きべそかきながら言ったそうです。そこで母が一言「この子自分で何もきめられないのね」と驚いたと。笑

なんだかその距離感、子どもながらに覚えている気がするのです。私が困った時、何か嫌なことをされたり言われた時、当の本人よりもムキになって怒ってくれて私がそこまで怒らなくても大丈夫だよと思うこともありましたが、自分で選択すべきと母が判断するものに関しては心配しすぎるのでなく「私はあんたじゃないんだから、自分で決めなさい。」「だれもあんたが失敗したって痛くもかゆくもないんだよ」と小さい頃から言ってくれていました。ものすごいあったかさで見守ってくれつつも、あくまで母と私は別人格であり、早く自分で選択し、決定をしていきなさいって育ててくれたように思います。

18歳まで育ったお家の近く(あまり写真関係ありません笑)

ちょっと母が大好きって話にずれてきましたが笑、そんな子どものころからの接し方も嬉しく思っていて、いつか母と自分の子どもをあやしながら一緒に自分の子どものころの話をしたり、子育てについてあれこれ話を聞いたり、そんなことが楽しみで、将来そうなるのが当たり前と思うようになっていったと思います。


そのうち、大学生になって、生きていくためにいろいろ模索する中で冒頭に書いたように、海外で働きたいと思ってそのようなキャリアを選んでいくことになるのですが、母になることが自分の中で当たり前すぎて人に語ったことがないあまり、キャリア一直線のひとと思われるようになったらしいです。そもそも仕事してたら結婚願望ないとか短絡的すぎませんかと思ってしまいますし笑、事実どれだけの物理的な障壁があるのかそのときまで想像の域を出ないわけですが。


やはり母になるという夢は叶えたい。
私も自分の母のような母になって、子どもが将来愛おしいと思える人生を歩めるように、あったかく見守ってあげたいと思います。


2015年、自分の中ですごく大きな変化だったのは、自分の身体のこと大切に考えよう!と思えたことだと思います。

春ころに、なぜだかどこかに海外に行きたいなと思って、思い立った旅先がスリランカでした。
前々から名前は知っていて、アーユルヴェーダという存在もなんとなく聞いていて、たまたまいまのタイミングかなと感じてスリランカを改めて旅先として調べたように思います。

かつ、せっかくアーユルヴェーダ受けるなら、お互いノンネイティブな英語より(すでにサンスクリット語でもないし)、日本語でしっかりじっくりお話してから身体をみてもらいたいと思って、あえて日本人オーナーさんのアーユルヴェーダスパを探して予約して。
普段はあまり海外の日本人オーナーさんのところは、他の日本人に会いそうで避けてしまうのですが。

そのスリランカ行きのあとから、不思議なくらい調子が良くなったと感じたので、身体のこと考えることでこんなに生きるのがラクになるのかと驚きつつ、私にとってはとっても大きな発見になりました。それまであまり自分の体のこと大事にしてあげてこなかったとも気づきました。
自分はこの身体と一緒にあるのに、いままでいったいどこをメンテナンスしようとしながら生きてきたのだろうと不思議にすら思います笑



2016年早々に熱を出して休んでしまったのですが、そういや熱が出た時どうしたらいいとか、どういう仕組みで熱が出て、それはつまりどういう状態とか、自信もって答えられるほどの知識すらなく。いままで本当に何を信じて対処してきたんだ笑 とも思ったり。。まだまだ自分の身体なのに知らないことがいっぱい。



身体という字を使っているのは、心の状態も含めているということです。心の方はもともと調子を崩しがちなので意識はしていたものの、積極的に自分の良い状態をつくる方法を探ったりはなかなかできておらず。生きるのに必死なんだよとばかりに笑、ずっとそんなこと考えている余裕がないという気持ちでした。そもそもそこに切り込むことで、その不安定さを脱せられたんだなと意識できるようになってきたのは、この2年ほど。結局タイミングがあったから気付けただけで、自分で脱せられていたのかはいまではあまり自信ありませんが。


以来、自分のコンディションが100に近い時はどんなときか、その100に近づける方法を知っていたら、それだけでもどんだけ生きてく助けになるかなと思ったら、やっぱり身体のことしっかり考えることは重要だと、やっとその価値を思って肯定できたのだとも思います。それまでちょっと体がどうのって、胡散臭いくらいにしか思っていなかったし、「体にいい!」みたいなテキトウそうな謳い文句も世の中に多すぎて抵抗もあったのだと思います。

働き始めると、体調崩すと「自己管理がなってなくて」みたいな言葉を私も周りもよく言っているのを聞くけど、自分がどうしたらベストな状態を管理できるのか知っているひとってどれほどいるのでしょうか。私が鈍感過ぎただけで、実はみんな頑張っていたのかもしれないけれど、なかなか自分が調子の良い平時にじっくりそんなこと考えられないでいるのではと想像したりもします。



まだまだ勉強始めですが、私はアーユルヴェーダ的なセルフケア(予防)の考え方がとてもしっくりくるようで、その見方を通すと何か調子悪く感じても、一旦すこし距離を置いていまの自分の状態はどんな状態だろう?と客観視しようとすることができるようになってきました自分のことではあるのですが、一旦そとから眺めるから、焦らず冷静でいられる。対処方法があるはずだと思える。これによって、本当に生きるのがラクに感じられるようになったなあと。やっとまともに何かに集中できるところに来た気がします笑

2016年は、引き続き、自分の身体としっかり向き合って調子を整えて、そこからもっと幅広く活動していきたいと思います〜!


年末年始、少し日本に帰国していました。

東京では、浅草(入谷)にある古民家ゲストハウスのtoco.に滞在〜
ちょっと仕事やらでばたばたしてしまって、あまり宿におれず、他の宿泊者のみなさんとほぼ交流できなかったのですが、、次はもっとゆっくりいきたいなと思います。広いキッチンもあるので、ご飯も作りたい。前日までに頼んでおくと朝ごはんつくってくれて、1回だけ食べれたそのおっきなかわりおにぎりとお味噌汁が幸せの味でした。



そして、近所に銭湯があるというので、行ってみました!実は1月4日にもチャレンジしたのですが、まだお休みだったので最終日にリベンジ。

宝泉湯というお湯やさん。広めで、電気風呂、座り風呂、ミスト薬草風呂と水風呂がありました。別料金だけどサウナも。いつものパターンでまず身体流して、長めに湯船に。そして、水風呂に。最後にもっかいあったかい湯船に。すぐのぼせてあまり長めに入れないので、全部合わせてもせいぜい30〜40分。

久しぶりにお風呂はいると、嘘みたいに体の芯からほかほかしていて面白いですね。一回水風呂挟むと、なかなか湯冷めしません。日本の寒い冬もお風呂あったら幸せになるよな〜と、京都の銭湯が身近にあった生活を思い出しました。そして12時くらいにお布団はいって、朝までぐっすり一度も起きずに寝れたのに感動、、。しばらくこんな気持ちい眠りなかったです。恐るべしお風呂パワー。

バンコクに住んでいると、日本食もあるし、割と快適に過ごせてしまうのでそんなに日本恋しくなることないけれど、お風呂と冬の冷たくて澄んだ空気は少し恋しくなるなと思います。前にも書いたけど、早くバンコクのお風呂屋さんも行ってみたいと思います。。




久しぶりにお仕事で書いていた自分の文章を褒めていただいて、少し嬉しかったので、文章書くことについて。

私は、自分の性格や容姿や能力といったダイレクトなものについて褒められてもあまりピンと来なくて、素直に喜べないことが多々あります。
失礼な話、「本当にそう思ってもらっているのだろうか」と疑り深くなってしまって。
自信がないし、褒められても素直に喜んではだめというよくわからない空気読もうとすることを習慣にしてきてしまった気がします。ちなみに照れ方もへたくそで可愛らしげゼロ。むしろ相手を睨みつけてしまったこともいっぱい、不器用すぎます。だから素直に「ありがとうございます〜」って振る舞える人がきらきらして見えました。なんなら少し冷めた目で見ていましたごめんなさい。でも最近はすこし図々しさを身に付け始めましたよ!

ただほぼ唯一、素直に褒められて嬉しいのが、自分の文章や写真について言及してもらったとき。
以前、小さなwebのコラムに寄稿させてもらったものが、思いがけず反応をもらえたことがあって、とてもとても嬉しかったのを覚えています。
近しい友人なんかからはもちろん、あまりお話したことない人や少し距離を感じていた人、自分がとっても尊敬している人たちから反応をもらえたのが意外で、余計嬉しさが増したのかと思います。

友人で、「自分の写真を見られるのは裸見られるより恥ずかしい」って言ってる人がいました。笑
確かに、自分の視点や感性が切り出されてしまう写真や文章って、すごくその人をさらけ出した存在だなと思います。人生で触れてきたものも匂わせてしまうとも思います。
もちろんいろいろコントロールはできるでしょうが、そのままを表現しようとするとなおさら。
※私は裸の方が恥ずかしいです。

もしかして文章は、自分が一番好きな自分が表現できるからなのかもしれません。結局、私は自尊心が尊大だと思います。笑 だからこそ批判されたりするのが未だにこわくて躊躇してしまうこともあるけど、やはり、何度かそうやって私の文章に「感化された、元気づけられた、わくわくする気持ちになった」とか嬉しい反応をもらうと、書きたいなと思います。

なので、2016年もほそぼそ書いて行こうと思います〜。



京都に住むまで、銭湯というものが身近ではありませんでした。実際に見たことすらなかった気がする、、

たまたま
大学進学で仙台から京都にでて、銭湯がいっぱいあったこと。
そして、国内留学で1年だけ大分にいたとき、身近にお風呂屋さんがあったこと。
そんな環境のおかげで、お風呂の時間が好きになりました。
特に、大分から戻って住んだ京都のお家から徒歩30秒のところに銭湯があったのが、銭湯好きになった理由かな。

気になってはいたもののなかなか行けずにいたのだけど、はじめてその銭湯にいった次の日、朝起きて、こんなにもぐっすり眠れたことにびっくりしたのです。小さい頃からすぐのぼせちゃう人だったのと、1人暮らしで10分くらいしか入れないのに湯船にお湯はるのはもったいないなあと思ってしまっていた私にはとくに。まあ、家の湯船にちゃんと入るひとはいつものことになっていて当たり前なのかもしれませんが。以前バックパックで旅しているときも、シャワーしかないのが当たり前、むしろ水シャワーだけのことも多かったけど、やはり日本のお風呂文化はすごい理にかなってるものなのかなあと。

ちょっとお風呂の良さと銭湯の良さとがごっちゃになりつつあるけど、
やっぱり銭湯の好きなところは、大きな湯船(場合によってはいろんな種類)、高ーい天井、いろんな人が集まってくるとこと(適度な交流があること)かなあ。あの開放感は本当に気持ちいいよなと思います。最初は気恥ずかしくて、こそこそ体洗ってましたが笑、ベテランの様子観察してるうちに、自分もがっつりすっきりする術を身につけました。あと、それぞれのルーティーンとか、日常の一部を垣間みれることも面白く

こどもも広いお風呂で楽しそうだな。
このおばちゃんは、あのおばちゃんとおしゃべり楽しみにしてきてるんだな。
旦那さんと待ち合わせして仲良く帰って行く老夫婦とか。
「あら、今日は早かったから◯◯ちゃん会えないと思ったのに」って嬉しそうなひとも。


きちんと片付けて、次に使う人を思って、帰ってくのも気持ちがいいものです。見てても自分でやってても
一人暮らしだと、まあ基本的に家の中は自分のためのものばかりなのでどう使おうが、次の自分がどう思うかだけで慣れちゃうと楽したりしちゃうのだけど。ほんの少しのことで、気持ちよくなれたりするなってことにも気づけたり。少し前までは、小さなこどもにとってとか、社会を学ぶ場の一つでもあったのだよなと思ったり。


銭湯のメディアないのかなと思ったらやっぱりかわいいのありました。
TOKYO SENTO








京都銭湯芸術祭
これ行きたかったー!毎年やってるのかしら。












そして思い出したけど、住んでいた京都市右京区のフリーペーパー
右京じかん にも銭湯情報載っていた気がする。特集だったかな、、毎号だったかな、、(とにかく割とコンテンツぎっしりの素敵なフリーペーパー)

















そう、いま住んでいるバンコクにも銭湯というか、お風呂屋さんがあるらしいですね。湯の森というらしい。ちょっと高いし、駅から若干遠いのがあれでいったことないけど、そのうち行ってみたいと思う。





スリランカに行くことにして、とにかくあまり情報を知らなかったので、地球の歩き方を購入。ざっと見ながら気になるところをマーク。
その中の一つに、アダムスピーク(スーリパーダ)という山がありました。

あらゆる宗教の聖地(といいつつ、主に仏教徒が巡礼で訪れる)として、12月〜5月のシーズンのみ夜も照明がついて、土産物屋などもでて、みんな夜中から登り始め山頂で朝日を拝む。大人の足で3〜4時間。山頂はとても冷え込むので注意。

みたいなことが書いてあったと思います。
そして私はたぶん、夜中に山を登るってところに惹かれた気がします笑 夜のピクニックみたい!しかも大人の足で3〜4時間で登れると書いていて、私でも行けそう!(のちに体力過信であったとわかります)と思いこみまして、この度の割と高いプライオリティにセットしてしまいました。

(あとたぶん仕事でも考え事していて、何かを越えたいと試練を選んだ笑)


シーギリアからアダムスピークの麓の村までの移動

シーギリア

⇩ バス(3時間くらい)

キャンディ(乗り換えだけ)
ここから電車で行こうと思ってたけど、ちょうどいい電車がない。。
急遽バスに。この路線は紅茶畑を行くので、アジア一の絶景と言われていただけにちょっと残念に思いながらも、、実はバスでも結構きれいなとこ通ります。

⇩ バス(2〜3時間くらい?)

アダムスピークの最寄り駅、ハットン
このバスがまた本数少なく、、すごく待ちました。待ってる間に、同じくアダムスピークをのぼるという家族と仲良くなり、夕飯ごちそうになり。
やっと20時くらいにバスがくる。(夕方、17時以降のバスはおそらくこれだけです)
しかし、そこから人がぎゅうぎゅうになるまで発車してくれず。
何人かの欧米人が待ちかねてタクシー相乗りしないかと言われたのですが、まあ急がないし、バスにしました。タクシーは1500円くらいと言ってたと思います。やっとバスが発車!

⇩ バス(1.5時間くらい?)

アダムスピークの麓の村、ナラタニア
この時点で22時過ぎ。2時くらいから登ろうと思っていたので少し仮眠取りたいのと、バックパック置きたいと思い、宿へ。宿はいっぱいあります。設備はどこもいまいちそうでしたが、まあ数時間しか寝ないし、安いとこでもいいかという感じ。でも歩き方に載っている宿は、参道入り口からちょっと歩きます。10分くらい?くらくて少しこわいです。



いよいよ登山開始!しかし格好を間違えた、、

午前2時。眠たいけど頑張って起きました。


参道へ向かうのですが、あとから気づいた痛恨のミスが。
それはヒートテック+ウィンドブレーカーという格好で行ってしまったこと。

山頂が寒いという情報のみ信じ、なぜかヒートテックをもって行った私。
間違いでした。登り始めてすぐ、「暑い!」と気づく。。
山の麓もまあ夜はかなかな涼しいのですが、動いてたらやっぱり暑い。
ウィンドブレーカー脱いで、ぴったりしたヒートテックで登るというちょっと恥ずかしい感じでした笑(日が明けた帰り道はもっと惨め)

おすすめは、動きやすいTシャツに、フリースやユニクロのダウンみたいな格好を用意していくこと。地元民はビーサンで登ってましたが笑、スニーカーであればトレッキング用なんかでなくても大丈夫です。

そして、重たくても、1リットルはお水もって行った方がよいです。途中お茶屋さんもありますが、お水売っているところが少なく?、私みたいな汗っかきは、1リットルを山頂までもたす為にめっちゃ調整しながら飲みました。



最初の2時間が最大の関門、、

アダムスピークは基本ずっと石段が続きますが、登り始めの2時間がとても大きな関門だと思います。というのも(シーズンなので頂上まで照明が転々と行く先を示してくれているわけですが)あの尖った山頂まで角度が急になるのはかなり先。最初は、進んでるようでなかなか山頂に近づいて行く実感が湧かないのと、わりと緩やかに見えてでも一歩一歩が大きい石段。思った以上に、きつかったです。

しかも足の長い欧米人にめちゃくちゃ抜かれる、、
私そんなに体力なかったかと、本当にめげそうになりました。。

時計とにらめっこしながら、そろそろ1時間半経つけど本当に3〜4時間であそこまで辿り着くんだろうかと不安になりました。何とかここで諦めず、2時間を過ぎると、あからさまに斜面が急になります。でもこれでやっと写真でよくみる、裾のあたりについたということ。ここからはどんどん登って行くのが実感できるので、確かにきついけれど、精神的に最初よりは大丈夫になっていきました

※最初はあまり人気も少ないので、それもめげそうになる原因ですが、もう少し登って行くと地元のスリランカ人だみんなそのへんで座ったり寝てたりします。みんな夜10時ころから登り始めるらしく、そうやって時間をかけて登っていきます。


とにかく無心で登り続ける。ペースも大事。

2時間を過ぎて山登りっぽくなってくると、とにかく無心で登ってることに気がつきました。それまで、「もうやだな、諦めようかな」とか、「巡礼で登っている人たちは大きな目的があるのに、私は一体何の為にこんな試練に挑戦しているのか」って考えたり、考え事ばかりしていました。

でも気づいたら、とにかく一歩先へ、一歩先へと本当にただそれだけになって登っていました。

そしてなぜかいつのまにか、地元の少年二人が私のちょっと先で待っていてくれて、私が追いついてお水飲むとまた一緒に登りだすというリズムができました。ペースメーカーになってくれました。笑 それもあって、後半は一定のペースで。

もうそろそろ頂上が近くなってくると、空がだんだんと明るくなってきます。太陽に追い越されないように、一歩一歩力を振り絞って登って行きます。雲の上になってくるとさすがに肌寒く(汗かいたヒートテック着てるせいでもある笑)、みんな上着を着込み始めます。この辺りで、すでに雲より高いところにきていて、自分が登って来た道を振り返ってみると、ほんとうにきれいなブルーで感動してしまいました。思わず1人笑顔で、うわ〜!て声あげてたと思います。辛かったの忘れてしまうくらい。とってもとってもきれいで透き通った空気で、もうその瞬間を味わえていることが愛おしくって!さらに頂上までのぼる力になりました。(←感動のピーク笑 感動して写真取りそびれました、、)



やーっと登頂!

何とか日が明ける前に頂上に辿り着くことができました!頂上はすごくひろくて、お祈りする場所があります。しかし、朝日を待ち構える人々でぎゅうぎゅう。みんないいポジションで朝日を拝もうとしているので、割とわちゃわちゃしています。

朝やけハンターたち。空気がきれい。


日が昇ってきて、ここまで登って来たんだなと実感































朝日自体は、ちょっと曇り空だったのでそこまで感動せず。笑 もう登頂できたことが感慨深すぎて、余韻に浸っていたと思います。でも苦労して登って来たみんなが同じ方向見て同じものを待ちわびている光景は嘘みたいにきれいな時間だったことは確か。


観光客は、朝日が登ると早々に帰ってしまう人も多いようですが(日が昇ってくると今度は酷暑なので、、)、前日ハットンで出会ったファミリーとたまたま合流した私は、お祈りの儀式に参加することができました。みんなでお祈りを捧げ、言葉はわからないけれど、自分と同じようにここまで苦労して登って来た人たちの思いを想像しながらの時間も、また特別な時間となりました。



帰り道も大変、、行きとは別ルートで、滝や茶畑が絶景!

帰り道は急だけど、絶景!






























儀式が終わって、帰り道もやっぱり相当ハードです。日が照って暑いし、もう足がすでに筋肉痛で、くだりの石段はきつい。でも、急斜面を降りきって、日本寺を過ぎたくらいで道が分かれていて、行きとは別のルートを通ったのですが、ここがなかなかきれいで良かったです。谷のようになっていて、向こうに大きな滝や茶畑が続いていました。土の道なので、歩きやすいですし。


あんなところまで登ったとは、、






























ファミリーと休憩しまくってくだったので、結局麓についたのはお昼くらいになってしまいました。。




とにかく登ってよかった、、泣

本当に本当にきつかったですが、登って良かったです。こんなに自分で自分のことを頑張ったと言ってあげられることは大学受験以来だったので笑(そのくらいきつかった+逃げずに達成できた)、自分の精神にとてもよい効果がありました。以後、すごくすっきりした心地で過ごせているし、私これからも何とかなるな、と思えるようになりました。

ちょっと仕事で疲れていた私には、余計なものを削ぎ落とし、シンプルに生きるパワーを自分の中に感じられるような(それを自信というのか?)、大事な体験となりました。



※注意したいこと

・シーズン外も登れないことはないですが、夜は照明もなくまっくらなようなので、おすすめできません。たぶんものすごくこわいと思います、、

・1週間くらいは、筋肉痛覚悟で!

・一眼持って行ったのに全然撮る余裕がなかった!



またのぼりに行きたくなる気がするので、そのときはまた向かおうと思います。




かれこれ2年半くらいテレビなしで生活しています。
日本にいたとき、もう6年くらいブラウン管のテレビデオ(死語?)を愛用してたのだけど、まさかの雷の過電流でラジオ状態になってからは、新しくテレビを買うことはありませんでした。

タイに来てから3か月ちょっと経って、タイのコンドミニアムにもテレビ備え付けですが、もちろんタイ語だけで、英語や日本語の番組は有料の申し込みしないといけないのと、そもそもテレビのない生活に慣れてしまって、ほぼ付けません。

タイ語もテレビで勉強しようかとも思いつつ、番組構成とかが馴染まず、好意的に見れず。これはまた書きます。



なくても何にも困らなかった!

大学で京都へ引っ越した時は、テレビ大好きで、それでよく親と喧嘩したくらいだったので、もちろんテレビなしの生活なんて考えられなかったのに、いまどうしてテレビがなくていいのか。

やってみて分かったことですが、なくてもなんら生活にまーったく支障がない
私テレビ大好きなひとだと思ってたので、割と大きな発見でした。

・うそとか疑惑とか
・どうしてもいろいろ通すから間接的情報になること
(見比べるにしても時間かぶってるし)
・色がありすぎること
・過剰な表現方法
・意味や意図が不明

確かにそんなのが嫌になってきたのもあります。
精神的に弱っていた時期は、テレビからの情報に過剰に反応して、気分が浮き沈みしていました。(バラエティとか、意味のないものを見てても。とにかくあらゆるものにやられていた笑)
すでにテレビをみることに疲れてしまっていることは分かっていたけど、情報が圧倒的に減ってしまう気がして、なかなか辞めれず(というかやめるやめないみたいに考えたことはなく)。

だから、テレビが壊れてしまったのはいいタイミングでした。
そうなってみたら、本当に、何にも困ることがなかった。

新しいニュースとか、最近の流行とわからなくなっちゃう?なんて思いましたが、仕事で毎日パソコン開くからまあSNSとか、ニュースくらいみるし、大きなニュースは職場の人が教えてくれるし。
そもそもあまり流行を追う友だちもまわりにおらず笑、会話に困るなんてシチュエーションありませんでした。
とくに、好んでみてるつもりだったものも、そんな執着なかったんだなと。あるから、ありものから選んで見ていただけで、全然不可欠なものでなかったです。


テレビやめて頭すっきりしてきた(気がする)

テレビ辞めて、少し頭がクリアになっていった気がします。
自分で必要な時に情報は取りに行くようにしているし、ただ受けっぱなしという状況ではなくなりました。
自分でコントロールできるようになって、気になることがあればいくつか関連のニュースや記事を探して、自分で見比べることも以前より多くなったかもしれない。
テレビ見ると何となく、そんなもんか、って分かった感じがして終わってしまってたりしたかなと。
意味不明に精神すり減らしていたし。




いらないものどんどん捨てて、身軽にいきたいなと思います。




すきとか、大切っていう気持ちはいちばん大事にしたい。
できる限り、声に出すようにしたい。
伝えたい。

愛のあふれるひとになりたい。

強くてやさしいひと。



こんにちは。

毎度、長らくご無沙汰してしまいました。
いろいろごちゃごちゃして、バンコクで働くことになりました。

去年入社した同じ会社でタイオフィスつくったので、そこで。

整ってないけれど、仕事がすこぶるたのしくなって来たこの頃。

もうちょっと更新していきたいな。



どうせなら色に溢れた世界に生きたいなあと、こんなブログタイトルになりました。

2015年7月〜バンコクに住んでいます。
タイで事業立ち上げしつつ、ときどきバックパッカーしています。

学生の時に1年間休学して、アジアをバックパックで旅して、インターンをした時の記録とか。就職後も長期休みにちょこちょこ旅をしているので、その辺りの記録など。


旅のことと、毎日のことと、ゆっくり書きます。