根無し草、のような話

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ちょっと、jugemで書いてた以前のブログをbloggerに移行して、そのまま放置してたやつを編集しながら振り返ってた。ら、移動することって記事を書いてた。
少し違う側面だけど、タイトルのようなことを最近も考えてみたので文字にしてみる。できるかな。笑

大学はいるまでは、きっと4年で何事もなく卒業するつもりだったのに、なんだかんだ道をそれてそれて、5年間大学生してました。もうすぐそれも卒業する(はず)なのだけど、この5年間は、京都に3年くらい、大分に1年住んで、海外1年近く放浪したり、根無し草な感じがすることが結構あった。

それぞれの場所は好きだったし、地元で大好きな仙台はずっとルーツとして存在はしているけど、ふと「わたしどこに帰ればいいんだろう」ってさみしく思うことがあった。やっぱり、仙台だってどんどん変わっていくし、人だって変わっていくし移っていくし、なんだか取り残されたようでこわいし不安だなあとも。

でも、そとからみたら、私の方こそ好き放題行ってしまうので、さみしい気持ちを持たせてしまったりしたかも分からないね。両親とか。

ただ、これからも結局は、海外に行きたいと言い続けていて、そういう人生つくってくんだろうなと思う。

そうなると、このさみしさとはどう付き合っていけばいいのだろうと。笑

整理ついてないんだなあ。でも、なんか自分なりに折り合いつけていかなあかんのだろうな。どこでも、じぶんはじぶんっていっぽん線を持てたら、ゆらゆらしつつも、進んでいけるだろうか。

自分のことばっか優先して、贅沢で親不孝な生き方かもとも思う。でも、人生なんて大好きな人たち、みーんなと一緒にいられるのでもない。ちゃんと大事に思いながら生きていけたら、どこにいても大丈夫って思えるようになりたい。大丈夫って大事な人に思ってもらえるくらいになりたい。

そういうことかなあ。




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