海外で働くという選択肢はどんどん身近になっている

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海外で働くことがもっと身近な選択肢の一つになればいいと思います。


実際に海外に住んでみたり、旅先で出会う人の生き方を聞いていると、本当はもうすでに多くの人が選択しているものだと分かるのですが、日本にいるとその事実があまり見えてこないかもしれません。「この人たちは特別。すごい」と何か一つ、自分とは一線を引いてしまいがちな気がします

この間、幸せボンビーガールでタイへの移住が特集された時、特に 「あなたでも行ける!」みたいな設定だったので反響がすごかったようで、やっぱり日本にいるとそういう情報がまだまだ少ないってことなのだなと思いました。ちょっといいことだけ言い過ぎ!っていう反応も現地では多かったですが笑、選択肢として身近にあるという点については事実だと思います。


ホアヒンのビーチで

私が「海外で働く選択肢が身近なものである」と考える二つの理由について。


理由①異国の地って、日本国内だって同じこと。「全然違う」が前提の海外の方が障壁が低い

確かに、知り合いがいない異国の地に一人で移住するなんて、すごく勇気がいることに思えるかも知れません。でも、それって結構日本の中で移る時だって似たような感覚だったよなと。私が地元の仙台から大学進学で京都に出た時、しばらくカルチャーショックで関西人恐怖症になったことを思い出します。笑

言葉もまったくわからないわけではないですが、実は私という人間を形成してきた文化、言葉という前提が結構違うことに盲目的になり、なんだか理解しあえている気がしないなあとひどく不安だったり恐怖さえありました。国内で特に難しくしているのは、こういう同じ日本の中という考え方な気がします。みんな同じ前提のものに生きている、という思い込みが強すぎて、私みたいに苦しむひとも結構いるのではないでしょうか。

同じ日本で、確かに共有してきた多くの前提もあるけれど、文化や言語ってほんとうにその土地によるし、そこで形成される人格への影響は相当だと思います。そのことを意識できないままだと、日本国内であったって、順応するのに時間はかかるのではないでしょうか。

そしてそれが海外だった場合。そもそも全部違うんですよね。笑 あまりに違いすぎて、最初から違うものとお互いに承知しているからこそ、ほんとうに人間関係を築きたければ互いに理解しようと素直に努力ができると思います。



理由②日本でしか通用しない価値基準のなかで考えてしまいがちということ。ちょっと外に目を向けると、もっといろんな価値基準があります

もう一つ、日本の東京みたいに周りがせかせかしていると、なかなか自分の環境を俯瞰できなくなってしまいがちだと思います。一生懸命な人ほど、どんどん周りが見えなくなりがちです。

タイに来てみると、いろんな外国人が働いています。そして、タイ人もいろいろで、日本人よりよっぽど高いお給料をもらって、会計士など専門性の高いお仕事をしていたりします。まだまだいろんなところにハンデはありつつも、日本よりも露骨に、国際的な人材力競争を目の当たりにします。そんなところに身を置いていると、日本だけを見ていたときなんて、とても小さな世界を見ていたんだなと思うのです。

この状況を、危機感としてもそうですが、むしろプラスに捉えてもよいなと思います。まだまだ自分の知らない世界があって、日本だけの基準で自分を評価していたって、もったいないなと思うのです。日本だけの基準で自分をうまく振る舞えなかったり、仕事でうまくいかなかったり、すり減らしているのだとしても、そんな基準は日本でしか通じないもので、外に出てみたらまったく違う価値基準があります。

もちろん、どこに行ったって自分の軸がしっかりしていれば、ぶれることも少ないのかもしれませんが、特に日本は共有することを好む文化であると思うので、そこに生きづらさを感じる人には、世界を外へ外へ広げることは、すごく有効であるように思います。



この間久しぶりにあったお友だちが、たまたま海外で働くことが決まっていて、ごく自然に海外で働くことを選択したように見えるその友だちの顔がとてもすっきりいきいきしていて、すごくすてきだなと感じました。


自然に、生き生きした生き方を選択できる人が増えたらいいなと思います。