母の3回目の命日。

母はクリスチャンではなかったけど、結婚式をあげた教会でお別れしたいとの父の希望もあって、お葬式も教会でしました。

調べたら教会でも3年目に記念式をやることが多いみたいですが、うちは特にしないので、私は今日もタイに。(親戚や母の友人など、実家に顔見せていただくのは歓迎してます、父のお話相手していただくことになりますが笑)

私はそれぞれの悼み方でいいと思っているから、
今日はゆっくり過ごそうと思います。

もう3年も母と会ってないなんて、まだ不思議な心地です。いちばん大好きで尊敬する母には、なかなか追いつけそうにありませんが、それなりに人生楽しめるようになってきました。笑 元気にしてたら母も喜んでくれるかなあと。

ゆっくりですが、私は私のペースで。
いつ死んでもいいように、ぜんぶぜんぶ楽しんで生きていきます、引き続き。

「わたしはいま死んでも大丈夫なんだ」って人にいうと、もっと生きようよ!!って言われるけど笑、意識のレベルでは、たぶんその辺の人よりよっぽどポジティブに生きたいと思って生きてるし笑、毎日楽しんでるし、大好きとありがとうは言葉で伝えるようにしているし、無意識のレベルでも、どんな死に方でも自分の身体が最後まで命を全うしてくれることに代わりはないし、ほんとにひとはいつ死ぬかわからないんですよって声を大にして言いたい(わたしは超ポジティブです)。

思いの馳せ方はいろいろだし、何かを否定する意味ではないですが、配偶者や小さな子どもがいたっていなくたって、いくら若くたって、人は死ぬときは死ぬし、命は長短じゃないと思います。命が生まれた瞬間から、自分がいつか死ぬという自明の事実に向かって、意識でも無意識でも自身が全うした結果が、死なんだろうと思います。


先日弾丸でシンガポールに行ってきました。実に4年ぶり。




学生の時、インドでのインターンを終えて、カンボジアでのインターンが始まるまで1週間ほどあったので、シンガポールとマレーシアに立ち寄った感じだったので、ほんとに滞在期間はほんの2日間ほど。

インドの後に行ったのもあって、、「シンガポール、なんか普通でつまらない。」と言って、それってまさにオリエンタリズムじゃねって当時シンガポール駐在されていた知り合いの方にコメントをいただいたのを鮮明に覚えています。笑 はっとしました。


でも今回久しぶりに来てみたら、また全然違って見えたのです。
こんなにいろんな人種が共存していたんだな、とか。
タイ人やインド人が話す英語とはやっぱり違うな、とか。
てかみんな早口だしせかせかしてんなーとか。




タイに1年半ほど住んでみて、いつも見ている光景との違いが浮かんで見えたのかなと思います。住んだり、仕事をするとしたら、という視点で見ているのもあるのかな。一応お仕事で行ったので、その準備をしていて、やっぱり英語で勝負できればかなりのパイが広がるってことをますます実感しつつあります。


もっともっと広げられると思ったらワクワク。いろんな世界を見に行きたいな。仕事でシンガポールに戻ってこれるなんて、4年前は想像もしなかった。このチャンスをしっかりつなげて、頻繁にこれるようにしたいと思います。がんばろう~。




シンガポールが初めてというタイ人スタッフとちゃっかり観光で、Garden by the seaに行ってみたものの、「ここはカップルでくるとこやな」ってなってすぐ退散しました。笑


\あけましておめでとうございます/

2017年になりました。
日本に一時帰国して、実は大阪に残していたお部屋の引払いでばたばたな年末年始でした。小さいけれど、何だかあったかくて居心地の良かった畳のお部屋。片付けながら考えたことを少し書き残しておきます。

学生の頃からちょこちょこ引っ越ししていたこと、それから休学してバックパックしていたこともあり、最近はあまりたくさんのモノを溜め込まなくなってきました。今回は初めて一人暮らし始めるときに買った家具や家電たちの処分があったので結構な量になってしまったのですが、、。

何度か引っ越ししてわかった事は、、
○モノが増えれば増えるほど、心が重たく、フットワークも重たくなってしまうこと
○自分がわくわくするものが、自分が常に見渡せる分だけ、身の回りにあることの幸せ

私はバカみたいにモノに対して思い入れを持ってしまうため笑、一度手にしたものはなんだかんだ理由をつけて、手放し難くなってしまうのです。でも、形あるものは必ずいつかなくなります。モノだって、ひとだって、自分だっていつか消えてなくなります。

そう思ったら、自分の外側になるものに執着することが減ってきました。だって消えてしまうものに囚われていたら、いつまで経っても幸せになれないと思ったから。外側のものに寄るのではなく、自分の中に幸せの要因をつくることでしか、幸せにはなれないと思ったから。

そしてバックパック一つで、半年だって一年だって、生活できてしまうことを知ったから。まさに、足を知る。

でもだからと言って人との付き合いをドライにしたり閉鎖的にしてしまうのでなくて、最近はむしろ、心が開けるようになってきたように思います。なぜなら、ひととの出会いも儚いものなら、いろんなひとと出会って話がしてみたいし、大切な想いはちゃんとそう思ったときに言葉にして伝えたいと思ったから。新しい出会いを大事にできるようになったし、気張らず楽しめるようになった。

最近は自分の本当に欲しいと思う、そばに置いておきたいと思う、そばにあったらワクワクしてしまうとっておきのものに厳選してお買い物をしています。バンコクのお家のゴミ箱ですら、なぜか気に入ったのになかなか出会わないので、ビニール袋です笑 (バンコク在住歴すでに1年半ほど、、)

そんな選択を一つ一つ重ねていたら、とっても生きるのが楽で楽しくなってきました。お気に入りのものに囲まれて、新しい出会いまで広がって。大好きなお部屋を引き払うのは、やはり心が少なからずさみしいって言っていますが、どんどん理想の生き方に近づいているなあと。

何年か前には、こんなに自分の人生楽しめるようになるなんて想像もできなかった。もちろん波はあるけど、生きるのが楽になるなんて思ってもみなかった。いまは一つ、自分の人生をこんな方向に持って行きたいというイメージが持てるようになったから、この一年も、楽しい一年にしたいなと思います。楽しもう。